小津330年のあゆみ

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目次

第一章

第二章
005・松阪の小津清左衛門
005a・紀州藩と小津清左衛門
006・小津清左衛門、歴代
006a・掟書のこと
007・商人と御用金
008・小津清左衛門の信仰と施行
008・小津清左衛門の日常

第三章

第四章

第五章

第六章

小津和紙

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小津330年のあゆみ

昭和58年11月発行

編纂:
小津三百三十年史編纂委員会

発行:
株式会社小津商店

企画・制作:
凸版印刷(株)年史センター

印刷:
凸版印刷株式会社


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小津清左衛門、歴代
 戸主(家長)に就いていた期間と没年。

・清左衛門長弘(三代)
 承応二年(一六五三)〜貞享三年(一六八六)。隠居して玄久を名乗る。宝永七年(一七一〇)没。八十六歳。

  注・父森島与次大夫長継は承応三年没。六十九歳。

・清左衛門長生(四代)
 貞享三年(一六八六)〜宝永七年(一七一〇)没。七十三歳。

  注・長生は長弘の弟。

・清左衛門長康(五代)
 宝永七年(一七一〇)〜寛保元年(一七四一)没。六十一歳。

・清左衛門長郷(六代)
 寛保元年(一七四一)〜宝暦五年(一七五五)没。三十六歳。

・清左衛門長保(七代)
 宝暦五年(一七五五)〜寛政六年(一七九四)没。四十二歳。
  注・三歳で相続。祖母玉(長康妻、法名貞円)長保を補佐する。

・清左衛門長年(八代)
 寛政六年(一七九四)〜寛政十一年(一七九九)没。七歳。
  注・二歳で相続。代勤手代彦助。長年夭折のため母由賀(長保の妻、喜賀ともいう、法名慈源法尼)女戸主となる。
  寛政十一年(一七九九)〜文化四年(一八〇七)。天保十四年(一八四三)没。八十四歳。

・清左衛門長澄(九代)
 文化四年(一八〇七)〜文政九年(一八二六)。隠居後、与次兵衛を名乗る。安政四年(一八五七)没。七十三歳。

・清左衛門長堯(十代)
 文政九年(一八二六)〜天保五年(一八三四)離縁。

・清左衛門長柱(十一代)
 天保十一年(一八四〇)〜明治四年(一八七一)隠居後、与次兵衛を名乗る。
 明治九年(一八七六)没。

・清左衛門長篤(十二代)
 明治四年(一八七一)〜明治二十七年(一八九四)没。六十三歳。

・清左衛門長幸(十三代)
 明治二十七年(一八九四)〜明治四十五年(一九一二)没。四十七歳。
  (注・明治四十一年(一九〇八)二月十四日没。四十四歳。330年史以外に記録あり)

・清左衛門長謹(十四代)
 明治四十五年(一九一二)〜昭和二十七年(一九五二)没。六十五歳。
  (注・明治四十一年(一九〇八)〜。330年史以外に記録あり)

・清左衛門長倍(十五代)
 昭和二十八年(一九五三)〜昭和三十八年(一九六三)没。五十八歳。

沽券状
『永代売渡申家屋敷之事』沽券状(継書)(小津史料館展示)
文化九年(一八一二)六月二十三日、文化十二年(一八一五)五月二十七日
大伝馬町一丁目北側西角二軒目千五百両で竹内四郎兵衛から譲受し、表間口十間奥行二十間はすべて清左衛門の土地屋敷になりました。
竹内四郎兵衛は、元禄十七年(一七〇四)三月に佐久間屋敷を四人で譲受した一人小津三四右衞門から元文二年(一七三七)四月十六日に六百両で譲受しています。 文化十二年(一八一五)五月二十七日は、五人組、名主馬込勘解由らは、家屋敷が養子清左衛門(長澄)所持に相違ないことを慈源に宛てています。 名主馬込勘解由は、文化九年、勘解由だけだったのが文化十二年は、馬込勘解由となっています。

小津清左衛門家
現在、松阪には「小津旧宅」の名で知られる屋敷が残されている。(松阪商人の館)
広かった構えのなかの母屋のみであるが、元禄・文化のころの建築と推定されている。
長弘の弟長生(ながなる)が跡目を継いだ貞享三年(一六八六)に浜田道林屋敷を買求め、西町二丁目より松坂本町に移住している。

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関連HP 松阪市:旧小津家住宅、 旧小津清左衛門家 https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/culture-info/kyuodukejyutaku.html