戦後の商権復活とともに小津グループの課題の一つは不動産の充実、ビル建設であった。
それは関東大震災に際して地震に伴う火災で、店舗、蔵もろとも商品を焼失させ、大きな損害を受けた経験があり、さらに戦時中に焼土と化した惨状も目の当りにしているからであった。
また、小津は江戸時代から不動産を多く所有していた。その伝統に応える意味もあって、ビル建設には小津グループは協力して当った。
昭和三十八年(一九六三)完成の小津ビルから始まり、本栄ビル、小津本館ビルと進んで、三ビルの建設が完了している。
三ビルとも江戸時代の大伝馬町ゆかりの地に建設された。なかでも小津本館ビルは創業三百年記念事業であった。
●小津ビル
昭和三十八年(一九六三)五月に完成した小津ビルは東京都中央区日本橋本町二丁目ニ番地に建設され、地上九階、地下二階、延面積七,九八八平方メートルである。
(平成二十七年(二〇一五)三月に建て替えられ「キュロコ日本橋ビル」となりました。)
●本栄ビル
昭和四十五年(一九七〇)九月に完成した本栄ビルは東京都中央区日本橋本町四丁目ニ番地に建設され、地上九階、延面積一,八九一平方メートルである。
●小津本館ビル
昭和四十六年(一九七一)五月に完成した小津本館ビルの地は、紙商小津発祥の地である江戸大伝馬町一丁目の角に当る東京都中央区日本橋本町三丁目二番地に建設され、地上十階、地下二階、延面積九,一四六平方メートルである。